努力をする意味
こんな質問を頂きました。
関西の私立大学に通う4年生です。いつも楽しく読んでいます。
(略)
私は、努力や本気はそこそこに、余裕のある人生を送りたいと考えています。それなのに、周りは就活でも「なるべく良い企業へ」と考えたり、本やテレビを見れば「◯◯になるには!」とか努力を強要するものでばかりで嫌になってしまいます。
(略)
人生を生きる上で努力は必要なのでしょうか?
細部は違いますが、この類の質問は随分前からいくつか届いていました。
あまり抽象的な話はしたくないのですが、せっかくなのでお話します。
生きていく上で努力は必要なのか。
努力は必要ではない
「生きていくために努力は必要なのか」
という問にシンプルに答えるなら「必要ない」になります。
そもそも、なぜ「生きていくために努力が必要」という前提になっているのでしょうか。
生きていくために必要なのは努力ではありません。もっと具体的なものです。
生きていくためにはお金が必要です。愛する人も必要かもしれません。社会的地位も、家も、食事もetc
確かにそれらを手に入れるためには「努力」が必要かもしれません。
でも、その「努力」をしたくない。
ならば良い方法があります。
捨てる
「必要なもの」を捨てれば良いんです。
生きるために年収500万円必要?じゃあそれを300万円に。
生きるために社会的地位が必要?生きているだけで充分です。
生きるために生涯の伴侶が必要?それは諦めてください。
こうすれば一気に努力の範囲が縮まります。これでほとんど努力しなくても生きていけるようになりました。
全てを手に入れたい人へ
「いやいや捨てたら意味ないじゃん!俺は全部欲しいんだよ!!」
バカかお前は。
目の前のことに真剣に取り組まず、仕組みを変える行動もせず、捨てることもしない。
その全てを放棄して自分の望むものを手に入れるなんて不可能です。
この話、小難しいように思えて実にシンプルな話なんです。
誰もあなたに努力の強要なんてしていません。
努力はすればするほど手に入るものが増えます。しなけりゃしない分だけ手に入らない。
「努力したくない」というなら好きにすれば良い。でも、その分だけ欲しいものが手に入らなくなるのは理解しておいてください。
まとめ
「努力する」「努力しない」
そんなことはあなたの自由です。好きにすれば良い。
ただ、シンプルに、人生は努力すれば努力した分だけ何かが手に入ります。
「そこそこの努力」しかしないのであれば「そこそこのモノ」しか手に入らないのは覚悟しておいてください。